『周りに振り回されるな!』
最近の心の声を思い切り吐き出してる長文なので、読みたくない人は読まないで下さい。
いつものような音楽記事は近日中にまた更新しようと考えているので、楽しみにされてる方は気長にお待ち願います。
(今日は小池一夫の『ふりまわされない。』を読み返そう)
今までの自分を振り返ってみると、ひたすら周りに振り回されていた。
他人に無理して合わせて、自分を殺して生きてきた。
ある日、そんな自分に気付いて、そんな自分のことが嫌になって、『もう、周りに振り回されるのは止めよう』と心に決めた。
だけど、最近の自分自身を振り返ってみると、いつの間にかまた周囲の人達に無理して合わせているのに気が付いた。
それは、自分を取り巻く環境の変化が一番大きな原因だと分かる。ここ数カ月の間に随分と状況が変わったし。
最近なんだかモヤモヤしていて、それが何なのかは分からなかったりして、気持ち悪い状態が続いていた。
いや、本当は心の中では何が駄目なのか分かっていたんだと思う。
それが、知らず知らずのうちにまた周りに流されていき、正常な判断が出来なくなっていたのだろう。
他人に合わせ過ぎて、他人が居心地良いと思えるようにと無理して合わせ過ぎて、何よりも大事な自分自身の居心地を悪くしてしまっていた過去が、俺にはある。
そうやって無理して他人に合わせていた頃でも、ある人から「アンタは“ジブン、ジブン”ばっかりやなぁ!」とよく言われていた。
心を殺して周りに合わせていても、結局そんな風にしか言われない。
無理して合わせても、そうやってバカにされる。
しかも、一番近しい人間に。
そんな過去があったから、『他人に合わせて生きても、結局はそう言われる。だったら、自分のやりたいように、思うように生きよう』と心に決めて毎日を生きようと決心した。
だけど、ここ数カ月を振り返ってみると、徐々にまた無理して周りに合わせていることに気付いた。
特別仲の良い人には俺自身の体験談や失敗談から学んで得たことを伝えるようにしていて、「自分の思うように生きれば良いやん」なんて偉そうなことを言ってはいる。……が、肝心の自分自身が今、そうできてないなんて、話にもならない。
この二日間で大切な人達と会って、また沢山の出来事があった。
昨夜は友人と呑みに行ってから、ブログに何度も書いているギャラリーノマルのイベントへ足を運んだ。
本当は、しばらくの間は行くのは止めようと思っていたが、導かれるように足が進んでいき、短い時間だったけど久しぶりに沢山の人達と再会した。
ドットエスの橋本孝之さんも東京から駆けつけていたので、自分が思ってることを正直に話した。
ほんの数分だけの会話だったが、俺が最近感じていたことを、嘘をつかずに、心の内にあるものを吐き出させてもらった。
上手く伝えられたかは分からない。
自分でも、言い訳がましいかも……なんて後で思ったが、直接、本人に言いたかったんだと思う。
俺は音楽に何度も何度も救われてきた人間だし、そんな音楽に対して絶対に嘘をつきたくない。
だから、このブログにも自分が感じたままを、素直に書こうと決めている。
そんな思いでやってるから、ドットエスのライヴに対しても嘘を書いたことは一度も無いし、その場で自分が感じたことを出来る限り正確に記録しようという思いでブログに書き記してきた。
だけど、去年の初頭から彼らを知って、何度もライヴを観ているうちに、俺自身の中でマンネリ化していった部分が出てきてしまったのも事実で、そんな自分の気持ちに嘘をつけなくなり、先月行われた彼らの10周年ライヴに行くのを止めた。
記念ライヴを祝いたいと思っている以上に、ライヴを観たら俺自身はどう感じるだろうという気持ちの方が強かった。
先の読めない展開が彼らの魅力のひとつだと個人的に思っているが、10回以上も彼らのライヴを観ているうちに段々と展開が読めるようになってきて、「次はこうなるだろうな」といつの間にか思うようになっていた。
それだけが魅力の全てではないけれど、突拍子もない意外性を彼らに期待していた俺みたいな人間には、刺激に欠けるようになっていたのも事実だ。
それを変な情に流されて、忖度して良いように書いたとしたら、自分が駄目になると思った。
自分だけでなく、相手も駄目にさせてしまうと感じた。
人によっては毎回のように称賛する方もいるだろうし、感性なんて人それぞれなんだから、それはべつに構わない。
好きなミュージシャンを追っかけて世界中飛び回っているファンだっているし、そういう人達からすれば“いつだって最高”なんだろう。
そういうファンもいて良いし、そんな熱狂的なファンが支えてくれているからプロのミュージシャンはやっていけるのも分かるし、それを否定するつもりも無い。
だけど俺は、“音楽が好きだからこそ、正直でいたい”と思っている。
大体、毎回最高なわけが無いと思う。
ミュージシャン本人の体調やその時のモチベーションだけでなく、聴いてる自分自身の体調や心理状態でも感じ方って絶対に変わるはずだし。
好きなミュージシャンに忖度しておべんちゃらを言うのは、自分に対しても好きなミュージシャンに対しても、お互いの成長を妨げているだけにしかならないと俺は思っている。
時には批判も必要だと思う。
それも、悪意ある批判ではなく、“愛ある批判”が必要だ。
自分が良くなかったからといって、良いと言ってる人を人格否定するようなバカは別だが、愛のある批判なら遠慮なくいくらでも言うべきだ。
結果的にそれがお互いのためになるんだし。
そのミュージシャンが好きだからこそ、音楽を愛しているからこそ、正直にならなければいけないはずだ。
お客も貴重な人生の時間とお金を費やして観に来ているんだから、ミュージシャンはそれ以上のものを魅せる責任があると俺は感じているし、そうでなければただの馴れ合いでしか無くなってしまう。
俺は、そんなのには何の価値も無いと思っている。
それなら、一度離れた方が良い。
本当に好きなら、本音をぶつけ合って良いはずだ。
というか、そうするべきだ。
音楽の話になってしまってるが、実生活でもそうなんだと思う。
こういうちょっとした出来事の積み重ねから自分の“芯”がブレていき、人って少しずつ駄目になっていくんだというのが、今の俺には分かっている。
それが最近のモヤモヤした気持ち悪い状態に繋がっているのだろう。
いろんなことを積み重ねた結果が現在の自分を形成しているし、もし、今が駄目だと思うなら、そういう生き方をしているからなんだろう。
まさしく、今の自分がそれに当たる。
だけど、俺の良い所は、そんな駄目な自分に気付けるところだと思っている。
気付いたのなら、良くなるように軌道修整していけばいい。
良くも悪くも物事を深く考え過ぎてしまう性格だから、生きにくい人間だと我ながら思う。
けれど、何も考えずに、のほほんと生きている人と比べたら、『俺はこのままで良いや』とも感じている。
不器用な人間だから辛くなったりしんどくなることも多々あるが、これが俺なんだし、文章にしても、こんな自分にしか書けないものがあると信じている。
T11/5 8:00-15:00