シューゲさんのまったり音楽日記

洋楽中心に1記事につき3〜5分程度で読める内容にしているので、気になったミュージシャンがいれば添付してある音源をご視聴頂けたら幸いです。

映画『セッション』

前回からの続きで、今回は映画『セッション』の話。

ドラマーである友人Eさんと一緒に観てからのレビュー。
(注:ネタバレ含む)








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マイルズ・テラー演じる主人公ニーマンと、J.K.シモンズ演じる音楽教師フレッチャー。


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フレッチャーは自分の理想とする“音”を追求するため……というか、それ以外は『NO‼』を突き付ける完璧主義で、頭に思い描いている演奏とちょっとでも違っていればクソ扱いするような超スパルタ教師。



冒頭で、フレッチャーの質問に答えずドラムを叩くニーマン。それに対してフレッチャーが「お前はゼンマイ式のサルか」と嫌味を言う。

この短いやり取りだけで二人の性格や人間性を上手く表現している。



フレッチャーの台詞の9割以上は罵声やパワハラ発言ばかりで、正直、観ていて胸糞悪くなってくる。

フレッチャーを演じたJ.K.シモンズは何かが乗り移っているようで、まるで悪魔にでも魂を売り渡したかのように見える。


ジャズではないが、この作品を観ていて感じたのは、“伝説のブルースマン”と呼ばれるロバート・ジョンソンも“悪魔に魂を売り渡した男”なんて言われていて、ひょっとしたら彼もこんな風に人間的な心も何もかもを何処かに捨て去り、全てをブルースに捧げたんじゃないかと思ってしまった。




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J.K.シモンズの怪演ばかりが注目されがちな作品だが、マイルズ・テラー演じる主人公のニーマンも全く引けを取らない。この人、実際にドラムを叩いている。それも、物凄い迫力で。

ドラム演奏中に何度も手から血が流れるが、それも演出ではなく、マイルズ・テラー本人の血だという。解説を観たら、皮膚がめくれて絆創膏を貼っているシーンも本当にやっているとのこと。


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この映画を観て役者として彼が凄いと感じるのは、物語が進行していくにつれて表情がどんどん変化していくところ。

柔らかい温厚な青年といった顔立ちだったのが、フレッチャーのイジメや体罰に近い指導で精神的苦痛を味わううちに、徐々に“人間らしさ”が失われていくかのようになっていく。

それでも「偉大な音楽家になる!!」という一心だけで喰らい付き、『コイツ(=フレッチャー)に付いていけば、ヤツの求めているものに応えることができれば、偉大な音楽家になれる!!』と信じ、生活の全てをドラムに捧げていく。



せっかく可愛い彼女ができたのに、「ドラムを練習する時間を奪われるから、もう会わないようにしよう」と一方的な理由で別れ話を持ち出し、彼女にキレられて別れる(←しかも、自分から声掛けたはずなのに!)。


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だけど、ニーマンの彼女になったニコルへ大学に入った理由を訊くと「受かったから」と、人生に何の目的も無く生きている人と彼とでは、考え方がまるで違っている。

彼女と一緒に平凡な人生を歩むか、全てを断ち切ってでも偉大なドラマーになるのか。


人間って一瞬一瞬が選択の繰り返しで、小さなことひとつでも“これをやるか、やらないかでその後の人生に少なからず影響を及ぼすもの”だが、その中でも大きな岐路ってのが必ずあって、そこで周りの感情に流されるか流されないかで自分の運命が全く別な方向へ変わっていくし、それは僕自身も経験している。

だからこそニーマンが選んだ道ってのは共感できるものがあるし、本当に我儘(わがまま)で自分勝手な人間だけど、それでも周りに左右されない意志ってのは持ってなきゃいけない、と映画を観ていて僕は感じた。




しかし、この作品を観て毎回『この人達、楽しいのかな?』と疑問に感じてしまう。

フレッチャーはニーマンに「演奏を楽しめ」と声を掛けるが、楽しむ要素がまるで無い。


登場人物も限られていて、主人公の父親や恋人も出てくるが、ひたすらドラマーと指揮者の二人だけのバトルが終始繰り広げられる。

アクション映画でもないのに全編に渡って空気が張り詰めていて、狂気の世界に足を踏み入れている。



フレッチャーの罵声が飛び交い、台詞らしい台詞ってあまり無いが、この映画は“行間”を大切にしていて、それは主人公ニーマンが時折見せるニヤリとした表情だったり、言葉以外で語っている。

ライバルのドラマーにフレッチャーがダメ出しすると『あっ、コイツ失敗した!やったぜ!!』とか、そういう感情の変化がとても分かりやすい。

そして、そんな醜い、嫌らしい部分が、逆に“人間らしい”気がしてくる。



それと、フレッチャーはニーマンの才能に最初会った時から気付いていて、彼には特別厳しく指導していたのだろう。

フレッチャーは音楽院の指揮者として独裁的なやり方で指導しているが、コンクールで優勝したりと、ちゃんと結果を残している。

俺はこういう人間のやり方や人格は大嫌いだし絶対に合わないが(苦笑)、それでも、彼に付いていくことで“一流”になれると信じている生徒達がいる。

そして、その中でも“超一流”になれる可能性を秘めたのがニーマンで、彼を狂人にさせてでも、自らの手で育て上げようと思ったに違いない。



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しかし、自分の思ったようにいかないと悟ったフレッチャーは彼を立ち直れないようにしてやろうと画策し(ホント、クズ!!)、ニーマンはドン底に叩き落される。……が、開き直ったニーマンがステージをめちゃくちゃにしてやろうという勢いで始めた演奏は“何か”が憑依していくようで、それはフレッチャーが思い描いていた姿そのものになっていく。



勝手に演奏を始めたニーマンに対し諦め顔でいたフレッチャーが、少しずつ彼のドラムに引き込まれていき、手で口元の汗を拭い、ジャケットを脱ぎ、指揮も何もかも忘れて自分も一緒に叩いてるかのように熱くなる。



ラストでニーマンが


「どうだ、あんたが望む通りの完璧な演奏をしてやったぜっ!!」


と、勝ち誇ったようにニヤリと笑う。



自分の理想としていた演奏をする“超一流”を自らの手で育て上げることができたフレッチャー。







僕が観たのは4回目だけど、今回も魅入ってしまった。

映画を観ている間、僕もEさんも一言も発さなかった。


スタッフロールが終わってから「凄いでしょ?」と訊くと「…………凄いな」と圧倒されて、映画の感想を言い合った。



Eさんの周りでプロになったミュージシャンの話をしてくれ、「自分の後からもどんどん凄い人達が出てくるから、物凄い危機感を持ってやってるって言ってた」と、強迫観念じみたものがあるとのことで、“楽しい”だけではプロとしてやっていけないんだと感じ、それは音楽だけに限らず、どんな分野でもそうなんだろう。




今回また『セッション』を鑑賞して、観る度に何かを感じているのが自分でも分かる。


きっとそれは、今の自分自身に問う“答え”がここにあるからなんだと思っている。










Caravan (Part1)
https://youtu.be/ZZY-Ytrw2co


Caravan
https://youtu.be/TS-G4UQTfUo


『セッション』予告
https://youtu.be/65P_HY_3aF0


J.K.シモンズ インタビュー
https://youtu.be/yec5Ima5eHY


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T11/25 22:30-2:00